2017年1月29日日曜日

 神や仏はいないのか。(黒澤明監督・映画「乱」)
 人はいつも道に迷ってる。人間は昔から同じ道ばかり歩いてる。嫌なら、この石垣から飛んじまえ。(黒澤明監督・映画「乱」)
 人は泣くだけ泣いて死ぬんだ。(黒澤明監督・映画「乱」)
 おい、黙ってないで、なんとか言えよ。おまえは勝手にばかを言え。おれは勝手に本当を言う。うまくつじつまがあったら、おなぐさみだ。(黒澤明監督・映画「乱」)
 やれやれ。狂ってるほうが楽なのに。(黒澤明監督・映画「乱」)
 狂った今の世で狂ったのなら、気は確かだ。(黒澤明監督・映画「乱」)

2017年1月28日土曜日

 お急ぎそうらえ。地獄、遠くにあらず。極楽、はるかなり。(黒澤明監督・映画「乱」)
 警官は決してさよならを言わない。彼らはいつも相手と再会することを望んでいる。容疑者として、面通しの列の中で。(レイモンド・チャンドラー、村上春樹役「ロング・グッドバイ」)
 なに咎あって騙討ちに斬らるる覚えかつてなし 狐忠信(文楽・通し狂言「義経千本桜」四段目・河連法眼=かわつらほうげん=館の段)
 恋と忠義はいづれが重い、かけて思ひははかなりなや。(文楽・通し狂言「義経千本桜」四段目・道行初音旅=みちゆきはつねのたび、冒頭)

2017年1月27日金曜日

 その静かさは、真昼の昼下がりなど、ときに海底のようである。(司馬遼太郎「翔ぶが如く」)
 こんな奴を生けて置くは世界の人の大きな難儀ぢや。(文楽・通し狂言「義経千本桜」三段目・すしやの段)
 空腹とちょっとの孤独に耐えたあと夫の持ち来るスープをなじる ネーダーコールソン靖子(俵万智「花咲くうた」)
 ヘッドホン外した時の静寂にどこか似ている恋の終わりは 佐藤りえ(俵万智「花咲くうた」)
 ころんだら、起きればよい(2007年11月22日日経新聞全面広告、アシックス創業者・鬼塚喜八郎の死亡、コピーライター松木圭三。鈴木康之「名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方」)

2017年1月26日木曜日

 一人のベートーベンを生み出すよりもベートーベンを尊敬する国民を作るほうが簡単だって言葉があるでしょ?(宮崎駿「風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡」
 誰からも嫌はれぬやうに記事書きてこころ和まず熱き茶を飲む 島田修二(俵万智「花咲くうた」)
 わが小さき記者の権限に選びたる君らの言葉多く読まれよ 島田修二(俵万智「花咲くうた」)
 サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい 大滝和子(俵万智「花咲くうた」)
 給料の一部とみなし「君が代」を教えておりぬ歌わぬ我は 大坂康子(俵万智「花咲くうた」)
 架空なる数字を売りて今切りし電話の相手も架空なるかな 源陽子(俵万智「花咲くうた」)
 人は誰しも自分のことを、何かひとつくらいは美徳を備えた存在であると考えるものだ。そして僕の場合はこうだーー世間には正直な人間はほとんど見当たらないが、僕はその数少ないうちの一人だ。(スコット・フィッツジェラルド、村上春樹訳「グレート・ギャツビー」)
 サンダルが街に目立ちはじめると、夏が近いことを感じる。(俵万智「花咲くうた」)
 僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。 「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と、父は言った。
 「世間のすべての人が、おまえのように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」 (スコット・フィッツジェラルド、村上春樹訳「グレート・ギャツビー」)

2017年1月25日水曜日

 「質問に、質問で返すときは、正解らしいですよ」(ドラマ「カルテット」2話)
 「終電は、男女が一線を越えるためにあるんですよ」(ドラマ「カルテット」2話)
 「言葉と気持ちは違うの」(ドラマ「カルテット」2話)
  「大丈夫ですよ。練習したじゃないですか」
 「練習したから、失敗するのが怖いんです」(ドラマ「カルテット」2話)
 「昼から食べるぎょうざとビールは、人類の到達点です」(ドラマ「カルテット」2話)

2017年1月24日火曜日

 「真実とは」エラリーは真顔で言った。「不快なものだからね」(エラリー・クイーン「災厄の町」新訳版)
 「人はきみが思ってるより忘れっぽいものだよ。それに、案外分別があったりもする。きみも見習うんだね」エラリー・クイーン(エラリー・クイーン「災厄の町」新訳版)
 顔は、社会的な器官なのである。(岡田尊司「アスペルが―症候群」)
 小説というものは一般に、当人もしくは読み手にとって気に入らない作品がありえても、出来そこないというものはありえない。(司馬遼太郎「坂の上の雲」あとがき)

2017年1月23日月曜日

 「同じ人が同じ文字を何回書いても、少しずつ違う。人生も同じで、同じ日は二度と来ない」(学生時代に事故で下半身不随になった書道家・伊藤進さん)
 精神主義は多くは無能な者の隠れ蓑であることが多い。(司馬遼太郎「殉死」)
 例えは悪いが、隣から火が出たとして、真っ先にバケツや消火器を持って駆けつける人が多いところが街であって、緊急時のマニュアルで火災警報機を鳴らし管理会社に通報するのがショッピングモールなのだと思う。(江弘毅「街場の大阪論」)
 息子は遠くへ飛び立って行きました。悲しいことではありますが、大きな希望を残してくれました。息子が誰かのからだの一部となって、長く生きてくれるのではないかと。このようなことを成しとげる息子を誇りに思っています。(6歳未満で初の脳死判定を受け、臓器を提供した男児の両親)
 「人はみな勝手に期待して、勝手に失望する」(ドラマ「総理と呼ばないで第5話」)
 「悪魔はウソつきだ。我々を混乱させ、そのウソに真実を混ぜて我々を攻めるのだ」(映画「エクソシスト」、メリン神父)
 ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。(岡本太郎「強く生きる言葉」)

2017年1月1日日曜日

 他人が笑おうと笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ。(岡本太郎「強く生きる言葉」)
 九十九パーセントの成功と、一パーセントの失敗を期待して、人々はサーカスに出掛けていゆく。(向田邦子「男どき女どき」サーカス)
 現在の視座で過去の物語を再編する権利は誰にもない。(佐藤優「獄中記」)
 花をいけるということは、やさしそうにみえて、とても残酷なことだ。花を切り、捕らわれびとにして、命を縮め、葬ることなのだから。花器は、花たちの美しいお棺である。(向田邦子「男どき女どき」花底蛇)
 手紙にいい手紙、悪い手紙、はないのである。どんなにみっともない悪筆悪文の手紙でも、書かないよりはいい。書かなくてはいけない時に書かないのは、目に見えない大きな借金を作っているのと同じなのである。(向田邦子「男どき女どき」嘘つき卵)
 「この世では、実際の行為など取るに足らぬもの。」とわが同居人の手厳しいお答え。「要は、何を自分の手柄だと人に信じさせられるかだ!」(コナン・ドイル「緋色の研究」)
 ものを言いたくないとき、男は煙草を吸う。ことばの代わりに煙を吐いておしまいにする。(向田邦子「男どき女どき」嘘つき卵)
 時は流れない。雪のように降り積もる。人は優しくなったか。賢くなったか。(2012年3月11日読売新聞朝刊「編集手帳」)
 「カネには裏も表もねえんだよ。あるのは、裏の人間だけだよ」(「総理と呼ばないで」10話)
 「人生そのものが、いわば迷宮入りですよ」(アガサ・クリスティー「火曜クラブ」)
 「たいていの人は悪人でも善人でもなくて、ただとてもおばかさんだってことですよ」ミス・マープル(アガサ・クリスティー「火曜クラブ」)
 「人の価値を決めるのは、記憶ではなく、行動だ」(映画「トータルリコール」)
 「足し算や引き算じゃあるまいし、血と肉でできている人間は算術のようにゃいかないものさ」(モンゴメリ「赤毛のアン」、村岡花子訳、新潮文庫287ページ)
 「明日がまだ何ひとつ失敗をしない新しい日だと思うとうれしくない?」(モンゴメリ「赤毛のアン」、村岡花子訳、新潮文庫258ページ)
 「寝室というものは眠るためにあるんだよ」(モンゴメリ「赤毛のアン」、村岡花子訳、新潮文庫175ページ)
 「楓って、とても社交的な木よ」(モンゴメリ「赤毛のアン」、村岡花子訳、新潮文庫153ページ)
 「神様がわたしたちをある環境に入れてくださった以上、わたしらが想像でそこからぬけだすことはよくないんだろうね」(モンゴメリ「赤毛のアン」、村岡花子訳、新潮文庫82ページ)
 「あんたは泣くにしても笑うにしても、あんまり簡単すぎるよ」(モンゴメリ「赤毛のアン」、村岡花子訳、新潮文庫80ページ)
 「その人が正しい行いをするかぎり、名前などどうでもかわまわないことです」(モンゴメリ「赤毛のアン」、村岡花子訳、新潮文庫59ページ)
 人が何を言っても、言い返さない男くらいしゃくにさわるものはないーー女でもそうだが。(モンゴメリ「赤毛のアン」、村岡花子訳、新潮文庫56ページ)
 「大きな考えがうかんだときには、大きな言葉を使わなければ、うまくあらわせないじゃないの。そうでしょう」(モンゴメリ「赤毛のアン」、村岡花子訳、新潮文庫25ページ)
 「世界って、とてもおもしろいところですもの。もし何もかも知っていることばかりだったら、半分もおもしろくないわ。そうでしょう。 そうしたら、ちっとも想像の余地がないんですものねえ」(モンゴメリ「赤毛のアン」、村岡花子訳、新潮文庫25ページ)